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【解説】

この小説は『シウダー・レアル』(Ciudad Real. 1960.)という短編集に収められた一編である。作者のロサリオ・カステリャノス(Rosario Castellanos)は,インディヘニスモ,フェミニズムの書き手として,また詩人としてメキシコのみならず世界的に知られている作家である。複雑に構成された作品世界に対する評価は高く,本作を含め数々の作品が英訳されているにもかかわらず,日本ではあまり知られていない。日本における研究としては,主にインディヘニスモ作家としての彼女に焦点を当てて分析を行った高林則明(1992,2003)や田中敬一(1991,1992,1993,1994,1999,2004)による一連の論文があるほか,洲崎圭子(2008,2012)がフェミニズムの視点から作品世界の分析を行っている。また拙稿(2002)では先住民と非先住民の溝の描き手としてカステリャノスを紹介した。翻訳としては,中産階級の女性にとって結婚とはなにかを描いた短編『料理のレッスン』(Lección de Cocina. 1971)の山蔭昭子による翻訳が,メキシコのフェミニズム言説を集めた資料集に収録されている(2002)。また,長編小説では『バルン・カナン』(Balún Canán. 1957)の田中敬一による翻訳が2002年に出版された。これは作者の子ども時代の経験をもとにした自伝的小説であり,チアパス州独特の言い回しが巧みな日本語に置きかえられた名訳となっている。作者のロサリオ・カステリャノスは,1925年メキシコシティで白人家庭の長女として生まれ

た。父セサルはチアパス州コミタンに農園を所有していたため,生後まもなく一家はコミタンに移った。彼女の一年後に弟マリオ・ベンハミンが生まれたが,7歳で死亡。両親はこの衝撃から立ち直ることができず,彼女は実質的にルフィナという先住民の乳母に育てられた。自分の資質と関係なく,男性に生まれなかったというだけで両親の愛情を受けることができない。弟の死は彼女にとって,女性であるが故の孤独の始まりであった。その感覚は終生彼女をとらえ続け,生まれ故に不当な扱いを受ける先住民に対する共感につながっていくことになる。1941年一家はメキシコシティに移住し,ロサリオはシティで大学教育を受けた。1950年にメキシコ国立自治大学(UNAM)文学修士号を取得している。その後1956年国立先住民庁の職員としてチアパス州サン・クリストバルに赴任し,教育プロジェクトを担当した。国立先住民庁と先住民エリートの癒着関係に失望し1年で職を辞してシティに戻るのだが,このときの経験が『バルン・カナン』(1957)『暗闇の祈祷』(1962)など,チアパスを舞台とした一連の文学作品として花開くことになる。『シウダー・レアル』に収められた10の物語も,このとき見聞きしたことが基となっている。その後彼女の関心は女性としての生き方に移り,大学で教鞭をとりながら『八月の招客』(1964)『家族のアルバム』(1971)などの小説や詩作のほか,多くのエッセイを発表し,積極的な執筆活動を行った。1971年イスラエル大使に任命されてテル・アビブに赴任,文化交流事業に尽力したが,1974年不慮の事故によりテル・アビブでそ

翻 訳

『モデスタ・ゴメス』

柴 田 修 子

161

の生涯を閉じた。今回紹介する短編が収められた本の題名であるシウダー・レアルとは,メキシコ南部,チア

パス州に実在する都市サン・クリストバル・デ・ラス・カサスの旧名である。植民地時代の名残を残す美しいこの町は,19世紀まで政治・経済・文化の中心として発展した。周囲を山に囲まれ,その山間には先住民(訳中では原語を生かしインディオとする)の集落が点在している。現在はメキシコ有数の観光都市として知られ,民族衣装姿で美しい織物を売り歩く先住民の姿が町のあちらこちらで見られるが,この小説が書かれた1950年代は州都の地位をトゥクストラに,商業の中心をコミタンに奪われ,主たる産業もないまま停滞した空気のなかにあった。当時,都市には植民地以来の血筋を誇る白人と混血の人々(両者合わせてラディノ(ladino)と呼ばれる)が暮らし,先住民とは一線を画すことで矜持を保っていた。先住民にとっても都市は暮らすところではなく,現金収入を得るために商品を売りに来たり出稼ぎの足場を作る場所であった。固定した社会階層,理解し合うことのないラディノ/先住民の姿を,衰退していくサン・クリストバルの淀んだ空気のなかに浮かび上がらせたのが,この短編集である。『シウダー・レアル』には,思わぬ大金を拾ったことから泥棒扱いされる先住民の姿や,ラ

ディノにだまされてにせ薬を買い込み借金まみれになっていく男など,シウダー・レアルおよびその周辺に暮らす人々のさまざまな人間模様が描かれている。彼女が描く先住民像は,構造化された差別のなかに置かれ救いがないが,哀れな被害者というわけではない。理不尽な社会構造のなかに身を置きつつも,彼らなりの論理を貫いて暮らしていく強さと弱さを兼ね備えた存在である。彼らを差別する側のラディノもまた,旧来の価値観に縛られて没落していく弱い存在であり,ときに先住民を恐れてすらいる。彼女の作品世界には,歩み寄る契機を持たない両者の会話の不成立がそのまま描かれており,この相互不理解こそが最大の悲劇であることを読者に伝えている。『モデスタ・ゴメス』の主人公は先住民ではないが,彼女の眼を通して当時の先住民の置か

れていた状況が浮かび上がってくる構造になっている。ラディノの最下層にいる彼女もまた,つらい人生を送っている。ささやかな夢すらかなうことなく,流されるまま行き着くことになるのが,追いはぎという職業である。決して褒められた仕事ではないものの,男に翻弄され続けた彼女が自分の力で稼ぐ手ごたえを得るところに,人間のたくましさが表れている。最後に,訳出にあたって留意した点を記しておきたい。本短編は,貧困から抜け出すすべを

持たないまま犯罪に手を染めていく女性を描いており,悲惨であるのは確かである。しかし同時に,主人公は逆境のなかでその都度自分にとって最良の選択をしており,生きる上で大切な図太さのようなものを備えている。スペインのピカレスク小説『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』をほうふつとさせる「悪漢」の突き抜けた明るさを出すため,文体がなるべく固くならならないようリズミカルな訳を心がけた。また原語には,チアパス州独特の言い回しが散見された。最後に主人公が行き着く職業「追剥ぎ女」もその一つである。原語は atajadora,行く手を阻止する人という意味である。山間の村から商品を抱えて町にやってくる先住民を待ち構え,商品を奪う女性たちを指す。わずかな小銭を与えて口をふさぐので厳密には強盗ではないが,適当な訳語がないため追はぎとした。またスペイン語には女性と男性の区別があり,atajadoraは一見して女性であることがわかる。本編では女性の集団による追剥ぎが男性も含んだ先住民と対峙する点が重要であると思われたため,「追剥ぎ女」とした。その他,通常のスペイン語にはない単語に関しては,インターネット上に存在する数々のボキャブラリー解説を参考にした。また同志社大学のアルベルト・ミヤン先生,天理大学の留学生パチェコ・マル

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ティネス・マキシモさん,ロハス・リベラ・イリチさんに貴重なご教示をいただいた。ここに謝意を表する。

【本文】

シウダー・レアルの朝の冷たさはたまらない! すべてが霧のなかだ。どこからか早朝ミサの鐘の音が聞こえてくる。門を開けるきしむ音や動き始めた粉ひき機の音も。モデスタ・ゴメスは黒いショールにすっぽりくるまって,震えながら歩いていた。肉屋の女

主人ドニャ・アゲダの言うとおりだった。「この仕事が続かない女もいるよ,お高くとまってさぁ。私に言わせりゃ怠け者だよ。追剥

ぎ女のつらいところは,早起きしなきゃいけないことさ」私はいつだって早起きだった,とモデスタは思った。乳母にそうしつけられたんだ。(どん

なに考えても,幼いころの母の小言やこちらに向ける表情は思い出せなかった。もう大昔のことだ。)「小さいころに引き離されたからさ。口減らしで家族みんな助かったろうよ」そのとき着せてもらった一揃いのきれいな服のことはまだ覚えていた。そして突然,指輪を

はめた本物の手みたいなブロンズのドアノッカーがついた扉の前に立たされたのだった。オチョア家だった。家族はエスペランサ商店を経営するドン・ウンベルトと妻のドニャ・ロメリア,3人の娘ベルタ,ドロレス,クララ,そして末っ子のホルヘだ。家のなかはびっくりするくらい素晴らしいものであふれていた。応接間を見たときのモデス

タの感激といったら! 籐製の家具,壁には柳の枝で編まれたウォールポケット,そこには色とりどりの葉書が扇のように広げられている。そして木の床,木だ! 心地よい暖かさが,はだしの足から心臓まで伝わってくる。オチョア家の世話になると知ってモデスタは有頂天だった。この素晴らしい家に自分も住めるのだ。ドニャ・ロメリアは彼女を台所に連れて行った。女中たちはこの幼い娘に悪意むき出しで,

髪がしらみの卵だらけと知るや,有無を言わさず冷たい水を張った桶に頭を突っ込んだ。三つ編みの髪がすっかりきれいになるまで,何度も石けん木の根でこすった。「よし,これで旦那様たちの前に出られる。もともと神経質な方たちだけど,ホルヘ坊ちゃ

まのこととなればなおさらさ。なにせ唯一の男の子だから…」モデスタとホルヘはほぼ同い年だった。けれども彼女は子守り役,ホルヘのお世話をし,楽

しませるのが務めだった。「私の足が曲がっちまったのは,おんぶしすぎたせいだってさ。まだきゃしゃだったから

ね」だがホルヘは甘やかされ放題,わがままが通らないと本人自ら言うとおり「火がついた」よ

うになった。その金切声は店まで響き,そのたびにドニャ・ロメリアがすっ飛んできた。「いい子ちゃん,どうしたの?」ホルヘは泣きながらモデスタを指さす。「子守り娘のせいね?」と母が聞き直す。「あなたに悪さしないように,懲らしめてやりま

しょう。ほら,頭にげんこつ,耳をひっぱって,おしりぺんぺん。これでいいかしら? さあ,私のかわいいカカオ豆ちゃん,いい匂いのハーブちゃん,もうママは戻るわよ。やらなきゃいけないことがたくさんあるの」そんなこんなでも,子どもたちが離れることはなかった。あらゆる小児病は一緒にかかり,

『モデスタ・ゴメス』 163

二人で秘密に首をつっこんでは,いたずらを考え出した。こまごまと息子の世話を焼くことからは解放されていたドニャ・ロメリアだったが,二人の

仲良しぶりはまずいものに見えた。間違いを避けるためにはどうすればいいか? 思いついたのは,ホルヘを小学校に入れて,モデスタに親しげな口を慎ませることくらいだった。「ホルヘはお前のご主人様,なれなれしくするものではありません」とご丁寧に説明してや

った。少年が読み書きを習っている間,モデスタは台所仕事に励んだ。かまどに火をおこし水を運

び,豚にやる残飯を集めた。少し成長し初潮を迎えた頃を見計らって,モデスタは格上げされた。この家に来て以来寝床

にしていた古いござが処分され,料理係が死んだおかげで空いていた寝台をあてがわれたのだ。モデスタは枕の下に木櫛とセルロイドの鏡を置いた。すっかり年頃となり,おしゃれが楽しかった。お使いで外に出るときには,石に足をこすりつけて入念に洗った。歩けば糊のきいたペティコートが音をたてた。町に出れば男たちが寄ってきた。彼女と同じくはだしだがまっとうな職を持つ若者たちが,

結婚を前提に粗野な誘い声をかけてくる。ホルヘと親しいキザな男たちからはベッドに誘われる。金持ちの年寄は,プレゼントやお金をくれた。夜ごとモデスタは職人の正式な妻になることを夢想した。町はずれのつつましい家,貧乏暮

らし,待ち受ける耐え忍ぶ人生を想像してみる。いや,やっぱり嫌だ。結婚なんて,いつでもできる。その前にあばずれ女みたいに羽目をはずして楽しんだ方がいい。娘と殿方を取り持つやり手婆が,彼女を売り物にするだろう。売春宿の片隅,自分の処女をめぐって騒がしい酔っぱらいの男たちが争っているあいだ,ショールにくるまってうつむくのだ。そしてうまくいけば,誰かの愛人となって,糊口をしのげる小さな店を持たせてもらえるだろう。雇い主のもとを結婚退職するような,堂々と胸を張れる人生とはいかない。それでもきっと,血筋のいい息子といくばくかの貯金は残るだろう。なにかの道のプロになるかもしれない。そのうち評判が広まって,彼女の挽いたカカオをみんなが買いに来るだろう。あるいは由緒ある家で悪霊退散の祈祷をするとか。結局行き着いたのは,追剥ぎ女だった。なんという人生のめぐり合わせ!モデスタの夢想は,ある夜突然やぶられたのだった。女中部屋のドアがそっと開き,暗闇の

なか誰かが寝台に近づいてきた。すぐ間近に熱い吐息と鼓動を感じる。幽霊が出たかと十字を切った。だが手が荒々しく体に伸びてきた。叫ぼうとしたが,唇で唇をふさがれた。他の女中たちが熟睡している横で,必死に侵入者と揉みあう。肩の傷でホルヘだと気づいた。抵抗する気を失い,目を閉じて彼を受け入れた。息子の様子がおかしいことに気づいたドニャ・ロメリアは,使用人たちのうわさで確信を持

ったが知らぬふりをすることにした。ホルヘもしょせん男,聖人君子ではない。血が騒ぐ年頃なのだ。ちんぴら(若者に悪い遊びを教えて身を持ち崩させる輩たち)と外でつるむよりは,目の届く家のなかで慰みを見つけてくれるほうがましだった。モデスタを犯したおかげで,ホルヘは一人前の男になれた。数か月前から隠れて煙草を吸

い,2,3度酔っぱらったことはあったが,友人にけしかけられても女と寝たことはなかった。厚化粧で,しぐさもしゃべり方も卑猥な女たちが怖かったのだ。モデスタとなら安心できた。唯一の心配は,家族に知られることだった。二人の関係をごまかすために,みんなの前ではわざと無視したり必要以上にきつく当たることもあった。だが夜になれば,家の匂いと子供時代

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の思い出がまじりあう慣れ親しんだ体をまた求めるのだった。だがことわざによれば「夜の秘め事,朝は丸見え」。モデスタの顔色が次第に悪くなり,目

には大きなくまができて動きが鈍っていくのを,女中たちはいやらしい目くばせをして意地悪く笑いながら噂し合った。ある朝,モデスタは何度も吐き気におそわれて,トウモロコシを粉にする仕事ができなくな

った。お調子者がモデスタの妊娠を女主人に告げに行った。ドニャ・ロメリアは怒り狂って台所に表れた。「この恩知らずのあばずれ娘! 妊娠だなんて,何考えてるんだか。お前のしでかした恥知

らずを私が隠してやるとでも思ったの? 神様はお許しにはなりませんよ。私には夫への責任と娘たちには模範をさなければならないんだから。さあ,いますぐ出ていきなさい」オチョア家を去る際,モデスタは屈辱的な検査を受けさせられた。女主人と娘たちが,何か

盗んでいないか服と持ち物を全部調べたのだ。その後,玄関の両脇に仁王立ちする家族のあいだを通って出ていかなければならなかった。オチョア家の人々に一瞬目をやった。ドン・ウンベルトは太った赤ら顔に好色な表情を浮か

べていた。ドニャ・ロメリアは怒りに顔をゆがめている。娘たち――クララ,ドロレス,ベルタ――は,むき出しの好奇心に嫉妬をしのばせていた。ホルヘは,姿を探したがどこにもいなかった。モデスタは町はずれのモスビキルまで来ていた。そこで足を止める。そこには彼女と似たよ

うな,はだしで汚い身なりの女たちが集まっていた。うさんくさそうにモデスタを見やる。「放っといてやんな。どこにでもいるキリスト教徒だよ。3人の子持ちのさ」と一人がとり

なした。「それなら,私らは? 絶世の美女かい?」「金をほうきで掃きにきたってか?」「この女の稼ぐ分なんて,私らが貧乏から抜け出せるほどのもんにはならないさ。許してや

んな。旦那を亡くしたばかりなんだ」「誰のこと?」「死んだアルベルト・ゴメスさ」「左官屋の?」「酔っぱらって死んだあの男?」(低い声だが,モデスタには聞こえてしまった。顔が真っ赤になる。酔っぱらって死んだア

ルベルト・ゴメスだなんて! なんてひどいことを! 夫が死んだのは,そんなんじゃない。酒飲みで,最近酒量が増えていたのは本当だが。でも無理もない。仕事を探して町を歩き回るのにうんざりしていたんだ。雨期に家を建てたり修理しようなんて人はいるわけない。アルベルトはアーケードや軒先で雨をやり過ごすことに疲れてしまって,それで酒場に入り浸るようになった。悪い仲間のせいだ。仕事をしなくなり,家族に暴力をふるうようになった。許すしかなかった。男というものは,酔えばどんどん手がつけられなくなる。翌日しらふに戻っては,あざだらけになったモデスタとおびえながら隅にかたまっている子どもたちを見て驚くのだった。情けなさと後悔で泣いたが,治らなかった。理性より悪癖が勝ったのだ。夜更けに夫の帰りを待つ間,通りで起こり得る幾千もの事故を想像してはおびえていた。け

んか,交通事故,流れ弾,もし夫が血だらけになって担架で運ばれてきたら,葬式代はどうひねり出したらいいのだろうと思うと心配でたまらなかった。

『モデスタ・ゴメス』 165

だが,実際に起きたのは違うことだった。彼女が迎えに行くはめになったのだ。ベンチで眠りこけているうちにとっぷり日が暮れて,アルベルトは夜気にさらされていた。一見したところ,怪我しているわけではなかったが,脇腹の痛みに少しうめいていた。冷え対策として獣脂の塗油が処方され,吸盤治療が行われた。白湯を飲んだが,痛みはひどくなる一方だった。死に際はあっけないもので,棺桶代は隣人たちが寄付をよせ合った。「あんたの場合,病より下手な治療があだとなるってやつだね」雇い主のアゲダは言った。

「あのホルヘの息子が後ろ指さされないで育つように,男に守ってもらおうとアルベルトと結婚した。それが結局未亡人。平和にはなったが3人の子を抱えて助けてくれる人は誰もいやしない」その通りだった。アルベルトとの生活は本当に働きづめで,苦労の連続だった。酔っぱらっ

ては彼女を殴り,面と向かって彼女がホルヘから受けた辱めのことを言いたて,そしてその死にざまは家族にとって本当になによりの屈辱だった。だがアルベルトは彼女が一番必要としているときに役に立ってくれた。だれもが彼女の不始末に目をそむけているとき,彼はモデスタに姓を与え,子供を嫡子にし,奥さんにしてくれたのだ。いま彼女の横で陰口をたたいているボロを来た未亡人のなかにだって,同じことを言えるように悪魔に魂を売り渡した女が何人いることか!)夜明けの霧が晴れてきた。石に腰かけていたモデスタに,追剥ぎ女の一人が近づいてきた。「ところであんた,ドニャ・アゲダの肉屋で働いてなかったかい?」「今もさ。でもそれだけじゃ足りないんだ。幼いこども3人抱えてるから,もうちょっと稼

がなきゃ。アゲダさんがこの仕事を勧めてくれた」「背に腹はかえられないってやつか。けど追剥ぎ女の仕事はきついよ。それにほとんど儲か

らない」(モデスタは相手をうさんくさい目でじろじろ眺めた。大げさなこと言って,何をたくらん

でいるんだ? ライバルを減らそうとやる気をそいでいるに違いない。とんだ見込み違いさ。モデスタは甘ちゃんではない。あちこちで辛酸をなめてきたのだ。現に肉屋のカウンター仕事だって,いつまで続くかわからない。午前中ずっと働きっぱなしだ。店をきれいにして――ハエは追っ払っても追っ払ってもたかるが――,商品を並べ,値切ろうとする客の相手をする。金持ちの家の女中ときたら,いつだってもっと厚い肉を,もっといい部位を,もっと安くしろと責め立てる! この女たちには合わせるしかない。だが帳尻はほかの客で合わせていた。市場の店では,女主人とその使用人たちは,貧乏くさいしみったれた客には忠誠を強いる。もし何らかの都合でよその店で肉を買おうとしようものなら,大声でどなりつけ,二度と相手してやらないのだった。)「肉を扱うのは,そりゃ汚れ仕事だ。だけど追剥ぎ女はもっと大変だよ。インディオと格闘

しなきゃならない」(そうでないところなんてあるのか? とモデスタは思った。雇い主のアゲダは最初に教え

てくれた。腐りかけや脂身の多い肉はインディオ用にとっておく。秤はわざと重くなるように細工して,奴らが少しでも抗議しようとすれば大声で威嚇する。それを聞きつけて周りの露天商たちがやってくる。騒ぎが起こると野次馬やら警官やらが入り乱れて押し合いへし合い,汚いヤジが飛んでけんかしている連中をけしかける。最後は決まって,勝った女主人がインディオの背負い袋か帽子をトロフィーのように掲げ,負けたインディオは群衆に罵倒されるなか,怯えながら逃げていくのだった。)

166 天理大学学報 第66巻第2号

「ほら,来たよ!」追剥ぎ女たちはおしゃべりをやめて山の方を向く。霧の合間から,山あいに動く荷物の姿が

見えた。シウダー・レアルで売る商品を担いだインディオだった。女たちが待ち構えて歩を進める。モデスタもそれをまねる。両者が対峙した。数秒間,動かない。やがてインディオたちがうつむいて歩き始めた。女た

ちを目に入れなければその存在も消せる魔法があるかのように,じっと地面を見つめている。追剥ぎ女は,我先にインディオに襲いかかった。彼らは商品に傷がつかないようかばいなが

ら,叫び声を上げて抵抗した。とうとう羊毛の毛布やら野菜の網袋,素焼きの鍋を手に入れると,追剥ぎ女はシャツのあいだから小銭を取り出して数えもせずに地面に放った。倒れたインディオがそれを拾う。争いの混乱に乗じて逃げようと,一人のインディオ娘がまだ狙われていない自分の荷を抱え

て走り出した。「あの娘はあんたに任せた」女の一人がふざけてモデスタに叫んだ。狩りにたけた獣のように,モデスタは反射的に獲物に飛びかかった。追いついてスカートに

しがみつき,二人とも地面に転がった。もみ合って娘を組みふせた。髪を引っぱり,頬を叩き,耳に爪を立てた。もっと強く! もっと強く!「姑息なインディオめ! 全部ひっくるめて出してもらうよ!」娘は痛みに身をよじらせた。耳たぶから首すじに血がタラタラ流れた。「あんた,もういいよ。もういいってっば…」興奮したモデスタは,荒い息をしながら犠牲者をつかんでいた。隠し持っていた羊毛の毛布

を差し出されても,放してやる気はなかった。ほかの追剥ぎ女が仕方なく仲裁に入ったのだ。「もう充分さ!」モデスタを立ち上がらせながら強い口調で言った。モデスタは酔っぱらいみたいにふらつきながら,汗に濡れた顔をショールでぬぐった。「そんであんたは,めそめそすんじゃないよ,仕方ないんだから。あんたには何も起こらな

かった。この金を受け取りな。神のご加護がありますように。騒ぎを起こしたあんたを子ども修養院に連れて行かないだけでも感謝しな」仲裁に入った女は娘の方を向いて言った。急いで小銭を拾うと,娘は足早に立ち去った。モデスタは呆然とそれを見ていた。「あんたのいい教訓になるように,この毛布はもらっとくよ。私が払ったんだしさ。きっと,

明日はツキが回ってくるさ」と女が言った。モデスタはうなずいた。明日。そうだ,明日もあさっても,ずっとここに来てやる。言われ

てた通りだ。追剥ぎ女の仕事はきつくて,稼ぎにならない。血のついた爪を見つめた。なぜだかわからないが,満ち足りた気分だった。

原典:Castellanos, Rosario. 1997(1960). Ciudad Real. México : ALFAGUARA. pp.59―70.

【引用文献】柴田修子(2002)「インディヘニスモ作家ロサリオ・カステリャーノス―先住民と非先住民の溝―」

『社会科学』第68号洲崎圭子(2008)「「第三世界」発のフェミニズム――『バルン・カナン』を巡って――」『F−GENS

ジャーナル』No.10―――(2012)「「独身女性」の表象――ロサリオ・カステリャノスの『バルン・カナン』を中心に―

―」Journal of Ochanomizu University English Society. Vol.2.

『モデスタ・ゴメス』 167

高林則明(1992)「文学のなかのインディオの家族像:ロサリオ・カステリャーノスにみる女性と家族」奥山恭子,三田千代子編『ラテンアメリカ:家族と社会』新評論

―――(2003)「ロサリオ・カステリャーノス:内なる〈女〉を問いつづけた軌跡」加藤隆浩,高橋博幸編『ラテンアメリカの女性群像』行路社 2003年

田中敬一(1991)「ロサリオ・カステリャノスの小説(I)―『バルン・カナン』をめぐって―」愛知県立大学外国語学部紀要 23

―――(1992)「ロサリオ・カステリャノスの小説(II)『シウダード・レアル』に見る「新しい視点」」愛知県立大学外国語学部紀要 24

―――(1993)「ロサリオ・カステリャノスの小説(III)―二つの世界が交わる時.『真夜中の祈り』―」愛知県立大学外国語学部紀要 25

―――(1994)「ロサリオ・カステリャノスの小説(IV)―新たな生き方を求めて.『八月に招かれた人々』と『家族のアルバム』―」愛知県立大学外国語学部紀要 26

―――(1999)「ロサリオ・カステリャノスの小説(V)―ラディーノ社会に見る女性のイメージ―」愛知県立大学外国語学部紀要 28

―――(2004)「『バルン・カナン』再読―ポストコロニアルの視点から―」愛知県立大学外国語学部紀要 36

ロサリオ・カステリャノス(2002)『バルン・カナン』(田中敬一訳)行路社―――(2002)「料理のレッスン」(山蔭昭子訳)松久玲子編『メキシコの女たちの声 メキシコ・フ

ェミニズム運動資料集』行路社

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