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目 次 TABLE OF CONTENTS目 次 TABLE OF CONTENTS
小野寺一浩 法学部長 挨拶
2017 年度 東京研修報告 基礎演習 担当教員:西澤雅道 1.西澤ゼミの全体像
2.文京区本郷エリア防災エクスカーション (防災まち歩き)
3.総務省統計改革実行推進室 中村英昭調査官へのインタビュー調査概要
4.警視庁本部通信指令センター・警察参考室見学
5.内閣官房内閣人事局 山村満理子参事官補佐へのインタビュー調査
6.内閣府大臣官房 古矢一郎参事官へのインタビュー調査
7.法務省史料展示室見学
8.内閣府地方分権改革推進室 岩間浩参事官へのインタビュー調査
9.元総務省大臣官房秘書課(現内閣人事局) 辻恭介企画官へのインタビュー調査
10.防衛省本省見学
2017 年度 東京研修報告 基礎ゼミ 担当:實原隆志 研修報告記
1.最高検察庁・移動教室
2.法務史料展示室・メッセージギャラリー
3.国会・参議院
4.憲政記念館
5.東京都庁
6.東京都政策企画局計画部
7.警視庁
8.最高裁判所
9.靖国神社・遊就館
10.復興庁
11.総務省統計局
12.厚生労働省
13.東京証券取引所
14.日本銀行
編集後記
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小野寺 一浩 法学部長 挨拶
この報告書は、「基礎ゼミ」の参加者が作成しました。福岡大学法学部では、新入生諸君が法学部での学修にスムーズに入っていけるよう、1年次に少人数授業を必ず履修することにしています。基礎ゼミは、その少人数授業の一つで、公的機関の役割、活動の実態について知識を修得し、公的機関のあるべき姿や、公務員などの公的機関の職員の使命について自らの考えを深めることを目標としています。
もっとも、一年間を通じて開講される基礎ゼミは、新入生に対する導入講義にとどまるものではありません。このゼミでは、前期の授業と後期の授業との間にある夏休みに現地調査(東京研修)を行います。前期の授業では、東京研修の事前学修を行い、後期の授業では、東京研修の結果をもとに検討し、さらに考察を深め、報告書を作成します。このように、事前準備、現地調査、事後の補充調査、報告書の作成という一連の流れを1年次に体験し、自らの力とすることは、基礎ゼミ参加者の大いなる財産となるでしょう。なぜなら、在学中の学修、さらには卒業後の社会生活で、どのような分野においても、事前準備をし、実践し、さらに検証する、という一連の流れを繰り返しながら、自らの考えを深めていく必要があるからです。
また、大学での現地研修などは、上位学年(3年次・4年次)に配置されることが一般的ですが、基礎ゼミでは大学に入学して半年しか経っていない、1年次の学生が現地研修を行います。まず机の上で勉強し、仕上げとして実習する(座学→実践)という通常のシステムに従えば、基礎ゼミでは、公的機関の活動、役割などについて、授業、書物などで基礎的知識を修得し、その上で、実際に現場を見るというやり方となるでしょう。ただ、基礎ゼミに参加する、大学入学後半年しか経っていない学生だからこそ、鋭敏な感覚で現場を見ることができ、この経験によって学生自身の内部に目に見えない種子が生まれ、その種子をその後の大学での勉強で育てるということを期待できるのです。多くの基礎ゼミ出身者が、在学中にそして卒業後も種子を育て続けています。
この報告書には、入学後間もない学生ならではの鋭敏な感覚に基づく、分析・報告が多数収められています。彼らの今後の成長に期待して、お読みいただければ幸いです。
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2017 年度 東京研修報告 基礎演習
執筆担当: 石山優花、岩佐諒平、江尻悠一郎、古賀亮資、志岐夏季、重村千尋、島添将希、末石千尋、詫磨勇哉、立中真湖、田中愛梨、徳永彩、名越ももこ、西山倭香子、稗田航大、宮崎大輔、牟田開登、村崎紗弥(2017 年度西澤基礎演習東京研修参加者・五十音順)1
担当教員:西澤雅道
1.西澤ゼミの全体像
1.1 西澤ゼミと防災行政研究会法学部の基礎演習(基礎ゼミ)は、入学したばかりの1年生が、学部生活での法学学習の基盤とな
る法律の読み方や文書の書き方を集中的に学ぶゼミである。そのうち、西澤基礎ゼミには、1年生20名が所属しており、内閣府から派遣されている西澤准教授の指導の下、4月から法と行政の基礎に関する学習を行った。
西澤准教授は、1年生の基礎ゼミのほかに、昨年度の基礎ゼミ出身者を中心とした2年生ゼミ(演習Ⅰ)及び3・4年生ゼミ(行政特別演習Ⅰ)を担当しており、1~4年生のゼミ員合計60名弱(聴講生を含む。)が集まって「防災行政研究会」(会長:西澤准教授、学生代表:法学部2年藤松祐輔氏)を組織し、土日や長期休暇等に公務員試験対策や面接対策を念頭に置いた行政法や行政学に関する勉強会を実施した2。
また「防災行政研究会」では、関係学会、他大学の研究者、行政官とも連携し、1年生も積極的に活動して、シンポジウムや研究会を企画運営していることから、以下紹介する。
写真 シンポジウムで講演中の西澤准教授(2017年4月福岡大学広報課長撮影)
1 西澤基礎ゼミのメンバーのうち池田智弥及び古賀稜人は、台風に伴う日程変更のため不参加となった。2 同研究会では、特に防災行政分野に力を入れており、避難訓練の在り方等についても地区防災計画学会及び情報通信
学会と連携している。
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1.2 熊本地震及び九州北部豪雨に関するシンポジウム2017年4月8日には、地区防災計画学会、情報通信学会等の関係者とも協力して、2016年4月に
発災した熊本地震の教訓について考察を行うため、「シンポジウム 熊本地震から1年を振り返って」を福岡大学文系センター棟で開催した。
ここには、東京大学、京都大学、名古屋大学、神戸大学、九州大学、香川大学等の高名な研究者をシンポジストとして招き3、議論を行った4。この催しは、昨年度に続いて開催したもので、福岡市にある公益財団法人江頭ホスピタリティ事業振興財団や福岡大学地域共生研究所から御支援をいただいた。同シンポジウムへの参加者は、150人を超えて会場が超満席になり、シンポジウムの模様は、NHK、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、西日本新聞及び新建新聞で報道された5。
また、2017年11月3日には、7月に福岡県朝倉市、東峰村等に大きな被害をもたらした九州北部豪雨の教訓について考察を行うため、「シンポジウム 九州北部豪雨の教訓と地域防災力」を開催し、国土交通省九州地方整備局の現役行政官のほか、京都大学、九州大学、名古屋大学、神戸大学、琉球大学等の高名な研究者をシンポジストとして招き6、議論を行った7。同シンポジウムでも参加者は、150人を超えて超満席となり、シンポジウムの模様は、毎日新聞、西日本新聞及び新建新聞で報道された8。
3 司会は西澤准教授、シンポジストは、室﨑益輝神戸大学名誉教授(地区防災計画学会会長・兵庫県立大学防災教育センター長)、矢守克也京都大学防災研究所教授(地区防災計画学会副会長)、島谷幸宏九州大学工学研究院教授、加藤孝明東京大学生産技術研究所准教授、磯打千雅子香川大学IECMS准教授、林秀弥名古屋大学大学院法学研究科教授、挨拶及び会場コメント等は、重松幹二福岡大学工学部教授、尾方義人九州大学芸術工学研究院准教授、渡辺浩福岡大学工学部教授が担当した。
4 2年生のゼミ員が中心になってまとめたシンポジウムの詳細は、西澤雅道・金思穎・防災行政研究会(2017)「シンポジウム印象記 熊本地震から1年を振り返って」『地区防災計画学会誌』10号参照。
5 2017年度のシンポジウムについては、NHK2017年4月8日夜ニュース「熊本地震1年でシンポジウム」、朝日新聞2017年4月9日朝刊「熊本地震の教訓生かそう 福大でシンポ」、毎日新聞2017年4月9日朝刊「防災、小さな一歩から 学会がシンポ 地域に合った計画を」、読売新聞2017年4月9日朝刊「住民主役の防災計画を 福大でシンポ 専門家ら指摘」、西日本新聞2017年4月9日朝刊「熊本地震教訓に防災自ら備え 福岡市でシンポ」、新建新聞2017年4月14日「防災を起点に地域コミュニティを活性化~地区防災計画の概要<熊本地震から1年>」等参照。
6 モデレーターは西澤准教授、シンポジストは、室﨑益輝神戸大学名誉教授(地区防災計画学会会長)、矢守克也京都大学防災研究所教授(地区防災計画学会副会長)、林秀弥名古屋大学大学院法学研究科教授、尾方義人九州大学芸術工学研究院准教授、井上禎男琉球大学法科大学院教授、金思穎日本学術振興会特別研究員であり、挨拶は、重松幹二福岡大学工学部教授及び渡辺浩福岡大学工学部教授が担当した。
7 1年生のゼミ員が中心になってまとめたシンポジウムの詳細は、西澤雅道・金思穎・防災行政研究会(2017)「第23回シンポジウム印象記 九州北部豪雨と地域防災力」『地区防災計画学会誌』11号参照。
8 2017年11月29日YAHOO!JAPANニュース 新建新聞社「地区防災計画で、共助・公助の連携を新しい段階へ 地区防災計画学会公開シンポジウム「九州北部豪雨の教訓と地区防災力」」、2017年11月24日 毎日新聞朝刊23面「地区の特性に応じた計画を」、2017年11月25日 西日本新聞朝刊25面「住民の備えで被害最小限に」等参照。
写真 11月のシンポジウムの模様(防災行政研究会撮影)
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1.3 国及び地方の行政官や福岡大学 OB を招いた研究会「防災行政研究会」では、2017年4月21日には、福岡大学法学部 OB(1972年卒)で、マンション
防災の権威である安部俊一一般社団法人マンションライフ継続支援協会副理事長を招き、「地域コミュニティづくりと人が死なない防災計画」について講演をいただいた。
写真 マンションライフ継続支援協会副理事長 安部俊一氏(中央)との記念写真(西澤准教授撮影)
また、11月2日には、北九州市の地区防災計画モデル事業を推進してきたことで有名な梅木久夫北九州市消防局警防課警防係長(1991年入局)に「熊本地震や九州北部豪雨における北九州市消防局の対応」について講演をいただいた。
写真 北九州市消防局警防課警防係長 梅木久夫氏による講演の模様(西澤准教授撮影)
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さらに、11月30日には、福岡大学工学部 OB(2014年卒)で、若手女性公務員である松本結子国土交通省九州地方整備局防災課事務官に「入省からこれまで」と題して講演をいただいた。
写真 国土交通省九州地方整備局防災課事務官 松本結子氏による講演の模様(西澤准教授撮影)
1.4 東京研修1年生の西澤ゼミでは、通常の授業形態の演習のほかに、夏季休業中に東京に赴き、中央省庁等の
政策形成過程の現場に足を運び、実際に政策立案や法案作成を担っている中央官僚等と議論を行う「東京研修」を実施した。
2017年度の東京研修は、2016年8月6日~10日に実施され、内閣官房、内閣府及び総務省の国家公務員に対する「半構造化面接法(semi-structured interview)」によるインタビュー調査等を実施した。この他に、警視庁、法務省及び防衛省を訪問したほか、防災行政に関する知識を生かして、東京都文京区本郷エリアでコミュニティ防災に関するエクスカーション(防災まち歩き)を実施した。
研修の目的は、中央官庁の国家公務員等との議論を通じて、①これまでに学んだ行政活動に関する知識を深めること、②行政官の具体的な仕事や行政官になるための準備の在り方等について学ぶこと、③公法及び行政学の観点から、当該政策の現状と課題について考察を行うこと、④上記を通じて、公務員等を志望している学生が、行政に関する理解を深め、主体的な進路選択を行えるようにすること等である。東京研修でのインタビュー調査等の全体のスケジュールは、以下のようになった。
【2017年度東京研修スケジュール】
午 前 午 後
9/6(日) - ・福岡から東京へ移動
9/7(月) ・ 文京区本郷エリア防災エクスカーション(防災まち歩き)
・ 総務省統計改革実行推進室 中村英昭調査官へのインタビュー調査(経済産業省別館)
9/8(火) ・ 警視庁本部通信指令センター・ 警察参考室見学(採用説明)
・ 内閣官房内閣人事局 山村満理子参事官補佐へのインタビュー調査(内閣府8号館)
・ 内閣府大臣官房 古矢一郎参事官へのインタビュー調査(内閣府8号館)
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9/9(水) ・法務省史料展示室見学 ・ 内閣府地方分権改革推進室 岩間浩参事官へのインタビュー調査(内閣府4号館)
・ 内閣官房内閣人事局 辻恭介企画官へのインタビュー調査(内閣府8号館)
9/10(木) ・防衛省本省見学 ・東京から福岡へ移動
インタビュー調査に当たっては、ビジネススーツを着用し、恥ずかしくないマナーを持って調査対象者(インフォーマント)に接することとした。
インフォーマントには、経歴や過去の職務内容について事前に情報提供を依頼した上で、インタビュー事項を整理し、カメラや録音機材を持ち込んで、「半構造化面接法」によるインタビュー調査を実施した。
以下では、東京研修の概要の一部を紹介させていただくが、いずれも西澤ゼミのメンバーの責任でまとめたものであり、その内容について、誤りや理解不足の点については、全て西澤ゼミのメンバーの責任である。
本稿では割愛したが、インタビュー調査のほかに、警視庁等では、採用関係の説明を受けることができた。西澤ゼミでは、本調査の影響を受けて、公務員を志望したいというメンバーが増加しており、本研修は、行政活動や行政官の仕事について理解を深め、学習の動機付けを行うという意味では、大きな成果があったと思われる。
2 文京区本郷エリア防災エクスカーション(防災まち歩き)
執筆担当 立中
東京大学のある文京区本郷は、樋口一葉のゆかりの地であり、昔ながらの木造住宅が密集して建ち並んでいる地域である。今回は、この地域を実際に歩き、防災の観点から街並みを調査した。
2.1 東京大学総合防災情報研究センター東京大学本郷キャンパスの中心部には、総合防災情報研
究センターがある。ここでは、災害報道の逆機能や災害の経済被害、災害文化、想定被害等について、その社会経済的影響、気象災害における避難行動の心理を明らかにするための研究が行われている。エクスカーションで訪れた際には、工事中で、中に入ることはできなかったが、防災について、高い水準で研究が行われていることが分かった。
写真 東京大学での集合写真
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2.2 本郷の街並みと防災東京大学の赤門を出て本郷通りを渡ると、木造住宅が密
集して建ち並ぶ本郷の街並みがみられる。この地区の街路は狭い。災害の観点からみると、このような木造住宅の密集地帯では、火災が発生した場合に、延焼の被害が出やすい。また、地域の特徴として、道が狭い上に坂が続いているため、消防車が入りづらく、火災から鎮火するまでに時間がかかってしまうことが予想される。本郷地域では、このような地域の特徴が加味された災害への備えが多数なされていた。
2.3 本郷地域の災害対策火災の延焼被害が予想されるこの本郷地域では、多くの
消火器が設置されていた。一つ一つの消火器の設置距離が短く、どこで火災が発生しても、初期の段階で消化できるように工夫されていた。また、町会防災詰所としての町会館も創設されており、災害発生時の一時的な拠点となる場所も明確になっていた。このように、本郷地域では日頃から地域全体で一貫した災害対策が行われていることが分かった。
3.総務省統計改革実行推進室 中村英昭調査官へのインタビュー調査概要
執筆担当 徳永・立中
3.1 略歴中村調査官は、西澤准教授の同期であり、東京大学理学
部卒業後に1999年に総務庁に入った。統計局へ進んだ動機は、数学が役に立ち、かつ様々な経験をすることができるからである。
また、アメリカ留学のほかに、行政管理局、自治行政局選挙部、総合通信基盤局電波部等も経験した。
3.2 アメリカ留学時代アメリカの東海岸にあるハーバード大学と西海岸にある
UC バークレーで修士号を取得した。TOEIC や TOEFL 等ではある程度点数を取って留学へ臨
んだが、現地での日常会話を理解することが困難だった。アメリカは学費が高いほか、課題も多く、ひたすら勉強をした。
3.3 行政管理局時代行政管理局とは、行政改革を推進したり、行政の減量・効率化を推進したりしている局である。こ
写真 本郷地域にある夜警詰所
写真 総務省統計改革実行推進室 中村英昭調査官(西澤准教授撮影)
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こでは限られた時間の中で、いかに効率的に仕事を行うかがカギとなる。統計局と行政管理局の組織の大きさを比べてみると、行政管理局の方が規模は小さい。しかし、そ
の分意思決定が早く行われ、スムーズに物事が進む。今は、国全体の定員管理に関する仕事は、新しくできた内閣人事局に移ったが、昔は行政管理局が
定員管理を担当していた。その際の審査は、スクラップ・アンド・ビルト形式でおこなわれた。仕事の需要が減った部局の定員を減らして、仕事の需要が高まっている部局の定員を増やし、全体として定員が増えないようにしていた。
3.4 自治行政局選挙部時代選挙区の改定の際には、現職の国会議員にとって有力な支持基盤となっていた地区が他の選挙区に
移ってしまったりする難しい仕事だった。電子投票は、選挙ブースに投票のためのタッチパネルを置いて投票する仕組みになっている。しか
し、2003年に電子投票によるトラブルが発生し、電子投票を取り入れる選挙が少なくなってしまった。
3.5 情報通信基盤局電波部時代携帯電話の使用可能なエリアの整備を担当していた。深夜に新幹線のトンネル内に、実際に電波が
届くか否かを調査しに行ったり、電波を発信するために必要な基地局の設立について検討したりした。基地局については、景観上不愉快だという住民の方の意見に対する対応や、事業者への対応依頼等
も行っていた。
3.6 統計行政について統計は、地道なものであり、政治とは距離を置くべきものでもある。2005年に個人情報保護法が施行されて以降、プライバシーの保護が重要になっている。また、調査員による調査に加えて、郵送及びオンライン調査を併用して調査を行ったところ、約
37.9% の国民が郵送及びオンライン調査を利用して回答した。従来の調査員が収集する調査を変更することによって、記入漏れ等の増加という問題が起こった。
写真 総務省統計改革実行推進室 中村英昭調査官との集合写真(西澤准教授撮影)
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4.警視庁本部通信指令センター・警察参考室見学
執筆担当 詫磨・宮﨑
4.1 警視庁本部警視庁本部庁舎の周辺には、多くの警察官や警察車両が配備され、周辺を厳しく警戒していた。入場ゲートは、専用の IC カードがないと入ることができないようになっており、各階の廊下等の
あらゆる場所に防犯カメラが設置され、対テロ対策等が厳重であった。
4.2 警視庁通信指令センター警視庁通信指令センターは、東京都内で警察通報用の電話(110番)をした際に、その通報を受ける
場所である。同通信指令センターには、2つの主な役割がある。1つ目は、東京都内で110番された電話を受けることである。これは、通信指令センター内のほぼ
中央から右側の部分に設置された20台の110番受理台に座る警察官が担当する。受理台には、通報内容を入力したり、画面にニュース速報や防犯カメラの映像を出したり、通報事
案の場所の地図を画面に表示したりするための液晶タブレットや、ニュース速報や防犯カメラの映像、地図等を表示する画面が設置されている。
2つ目は、110番通報を受けて、その通報事案に対する対応を指示することである。これは、通信指令センター内のほぼ中央から左側の部分に設置された無線指令台に座る警察官が担当する。110番受理台で聴取した通報事案の発生場所付近を走行中の警察車両、付近の交番、警察署等に無線で指示を出す。通報事案が重大事案である場合は、直ちに専門の部署に指示を出している。
センターの施設は、強い地震にも耐えることができるような強固な耐震構造を持つ。また、建物自体に自家発電装置があり、災害時も停電する心配がない。
センター内には、正面の壁に1000インチにも相当する4.7m ×26m の大型表示画面が設置され、そこには東京都の1万分の1の縮図が表示され、その地図上には警察署や警察署管区の境界が表示されていた。
4.3 警視庁警察参考室警視庁警察参考室には、警視庁に関する様々なものが展示されており、警視庁創設時から現在に至
るまでの警視庁警察官の制服、警視庁創設者である川路利良初代警視総監に関する資料、不法所持により警察が押収した武器類、現在の警察官の携帯装備品一覧、警視庁が実際に使用している交通取締用自動二輪車(通称白バイ)等が展示されていた。
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写真 警視庁での集合写真(西澤准教授撮影)
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5.内閣官房内閣人事局 山村満理子参事官補佐へのインタビュー調査
執筆担当 西山・末石
5.1 略歴西澤准教授の同期である総務省大臣官房秘書課の山本直
樹室長及び内閣人事局の平野欧里絵企画官の御紹介で調査を受けていただいた。
山村補佐は、立命館大学大学院公務研究科卒業後に、2008年に文部科学省に入り、現在は内閣人事局に出向している。また、三児の母であり、仕事をしながら妊娠出産を三度経験している。
5.2 国家公務員と獣医学教育国家公務員の仕事は、例えば、少子高齢化や地方創生、
グローバル化、雇用・労働問題、限界集落等のように、現代社会が抱える課題を解決することである。ここで、獣医師養成に関する行政の役割について自分の経験を踏まえて話したい。獣医師とは、ペットだけでなく牛や馬等の産業動物も診る。また、新薬の開発等に当たっては、獣
医師の知見も必要になる場合がある。現在、獣医学の勉強ができる大学は、全国で16大学ある(取材時)。
5.3 口蹄疫と関係予算獲得獣医師を養成している大学では、研究や実験によっては、劣化した機器で行っていることがわかっ
た。そのような環境を改善するため、設備を整えるための予算を獲得するよう取り組んだが、予算を獲得することはできなかった。そこで、他の方法で獣医師教育の向上を図ることができないか検討していた。
その後、大規模な口蹄疫という家畜伝染病の問題が発生した。感染した牛は、治療方法がなく、感染を防ぐため基本的には殺処分するしかなかった。殺処分は基本的には国家資格である獣医師免許を持った獣医師しか行うことが出来ない。当時は、全国から獣医師が集まったが、獣医師の数が足りず、また口蹄疫感染のスピードが速かったこともあり対応できなかった。そのため、獣医師免許を有する大学教員・院生にも招集することになった。しかしながら、そこで判明したのは、大学での実習等不十分であり、牛の扱い方をよく知らないということである。
このような問題を踏まえ、口蹄疫のような国の大問題に適切に対応できるように獣医学教育を充実する必要があることを強く認識し、再度予算を獲得できるよう検討した。最終的には、獣医学教育の充実強化のために3,000 万円程度の予算を獲得できた。
5.4 育児休暇と国家公務員の業務育休を終え、仕事に復帰した際には、子供が二人いる中で、定時に帰ることができるのかが不安
だった。最初は、周りとの関係も難しく、仕事は一人だけでするものではないため自分が思った通りに進むわけではなかった。しかし、大事なことは、口に出すことだと思う。勇気を出して上司や部下
写真 内閣官房内閣人事局 山村満理子 参事官補佐(西澤准教授撮影)
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に自分の置かれている状況に関する情報を共有することが重要だと思う。結婚したから、出産したからと言ってやめなければいけないという環境は、国家公務員にはない。
国家公務員の仕事は、次々に新しい仕事をするため、慣れるという事はないが、どんな仕事でも、その職場の環境にある程度適応するには、3カ月は最低でもかかる。
世の中には何が足りないのかを考え、自分にしかできないものではなく、自分だからこそできる事は何かを考えるべきであると思う。
写真 内閣官房内閣人事局山村満理子参事官補佐との集合写真(西澤准教授撮影)
6.内閣府大臣官房 古矢一郎参事官へのインタビュー調査
執筆担当 田中・名越
6.1 略歴東京大学法学部卒業後、国家公務員Ⅰ種試験に合格し、
米コロンビア大学行政大学院で修士号を取得されており、西澤准教授の前任でもある。1993年に総理府・総務庁に入庁した。
現在は、内閣府大臣官房総務課参事官として、特命担当大臣のサポート業務を担当している。
6.2 国家公務員の数と主な業務日本の公務員の数であるが、国の職員、自衛官等の国家
公務員は58.4万人、市町村の職員、教師、警察等の地方公務員は273万人である。合計で約332万人となっている。働いている人の20分の1が公務員である。このことから、税金の無駄だと言われることがあるが、諸外国と比較すると少ない。なお、日本の公務員の数の中には教師、防衛省職員、裁判官等も入っているため実際に普通の公務に当っている公務員の数は、もっと少ないことになる。
写真 内閣府大臣官房 古矢一郎参事官(西澤准教授撮影)
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公務員の仕事は、多くの人の生活に影響を与える。例えば、水道、道路等の公共整備や医療、年金制度等がある。公務員という組織は、一つの就職先であるが、一般企業とは違う。
公務員の主な仕事には、法令作成業務・国会対応業務・予算関連業務がある。
6.3 内閣府と国家公務員内閣府は、2001年の中央省庁再編で設置された。内閣府は一つの省では解決できないような問題に
取り組む。例えば、地方創生、勲章制度、防災、NPO、PKO、少子化対策、経済財政政策等がある。国家公務員という仕事は、いろいろな物事の内側を知ることができて面白い。国家公務員だけでは
なく、地方公務員も物事の調整を行うことが主な仕事であるため、ある物事がどうしてこうなったのかがわかる。市民の声、議員の声、会社の声、政治家の声を調整してより良い解決策を導く機関だからこそ物事の内側を知ることができる。
国家公務員を目指したきっかけは、法学部出身であるため、公務員試験が身近であったことと、公務員は学んだことを生かせることがある。民間企業のルールは、その会社独自のものだが、公務員のルールは、ほとんどが法律である。また、国家公務員の仕事が、人々に与える影響は大きく、世間からの注目が集まる。
写真 内閣府大臣官房 古矢一郎参事官との集合写真(西澤准教授撮影)
7.法務省史料展示室見学
担当 村崎・石山
7.1 赤レンガ棟の歴史赤レンガ棟は、日本の建築の近代化を象徴する文化遺産となっている。1895年に竣工したが、1945年の東京大空襲の戦災によりれんが壁とれんが床を残して消失した。
戦後改修され,法務省の本館として使用されてきたが、老朽化が進み防災上の面から修復工事が必要となり、1994年に復原された。
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7.2 刑法の移り変わり明治初年(1868年)の政府は、「王
政復古」、つまり武士が政治の実権を担う以前の日本に範をとろうとしていた。まず、「新律綱領」が制定され、次に、西洋法からの影響を受けた「改定律例」が交付された。「改定律例」の「新律綱領」との違いは、逐条形式を初めて採用したことと、懲役刑と死刑の2本に基づく刑罰であることだ。
江藤新平は、初代司法卿として、「司法職務定制」の制定を指導した。
これは、我が国の「司法」の構造について包括的に定めた初めての法令である。また、これは司法省による司法権の掌握をめざすものだったが、司法省は当時太政官とよばれていた行政府の一部であるため、同法令が予定していたのは、「行政のもとでの司法」であり、この段階で司法権が成立したわけではなかった。1875年の大審院設置によって、裁判所は国家機関として、一応の独立を果たした。
7.3 裁判員制度と陪審員制度日本では以前、裁判員制度に似た陪審員制度という制度があった。国民が司法に参加する制度の一
つであり陪審員資格者名簿で抽選を重ねて選ばれた12人が、犯罪事実の有無を答申する制度である。陪審員資格は30歳以上の男子で、2年以上同じ土地に住んでおり、2年以上税金を納めているほか、読み書きができることが就任要件であり、だれでも陪審員になれるわけではなかった。そのため、当時、陪審員になることはとても名誉なことであった。
現在は、裁判員制度が導入されている。裁判員は一般の国民から事件ごとに抽選で選ばれ、事件が終わると解散である。そして、選ばれた場合は、特別な理由がない限り断ることができない。この点は、陪審員制度と同じである。しかし、違いも多い。裁判員は、6人で構成され、評決は裁判官を含めた全体の多数決で決まり、有罪・無罪だけでなく、刑の重さや、執行猶予をつけるか等も決める。
裁判員制度の目的は、裁判に対する国民の理解を深め、国民の考えを裁判に取り入れることである。これに対して、陪審員制度は、12人で構成され、評決は全員一致でなければならず、有罪・無罪だけを決めた。陪審員制度の目的は、自分と同じ一般国民に裁いてもらうという被告人の権利を保障することだった。
8.内閣府地方分権改革推進室 岩間浩参事官へのインタビュー調査
担当 志岐・重村
8.1 略歴西澤准教授の元上司の御紹介により、岩間参事官にインタビュー調査を実施できることになった。
写真 法務省旧館(赤レンガ棟)(西澤准教授撮影)
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岩手大学農学部卒業後に、1991年に農林水産省に入省。2015年から内閣府地方分権改革推進室参事官として、地方分権改革による成果の発信、各自治体の取組事例の普及に取り組んでいる。
8.2 地方分権改革とは「地方分権改革」とは、住民に身近な行政は、住民に近い
地方自治体が、自主的かつ総合的に担い、地域の諸課題に取り組むことができるようにする改革である。
改革を進めるために、地域の実情に応じ、各自治体が自らの判断・裁量で、独自のルールや基準を決められるようにする必要性が出てきた際に、国(各府省)の制度等を見直し、国の関与・規制を必要な範囲に絞るとともに、地方公共団体の条例制定権を拡大するのが地方分権改革の主な仕事である。
地方分権改革には、第一次地方分権改革と第二次地方分権改革がある。1993 ~99年に推進された第一次地方分権改革は、国と地方の関係を上下・主従関係から、対等・協力関係にすることを目指す改革であった。一次改革のときの地方分権一括法の中には、「機関委任事務制度の廃止と事務の再構成」がある。「機関委任事務」とは、都道府県知事や市町村長を国の下部機関として、国の事務を執行してもらうという仕組みのことであるが、この上意下達式の仕組みが修正され、「法定受託事務」に変わった。
2006年から現在まで推進されている第二次地方分権改革は、個別法令の見直しで、地方の裁量・決定権限を拡大している。
2014年から導入された提案募集方式によって、地方の発意で国の制度改革を推進している。第二次地方分権改革には、「地方に対する規制緩和(義務付け・枠付けの見直し)」がある。「義務付け・枠付け」とは、自治事務(地方自治体が自ら行う事務)であるにも関わらず、国が法令等で全国一律に基準を決めているものである。このことにより、例えば、人口の多い地域、少ない地域、降雪量の多い地域、坂の多い地域等、各地域の実情と合わない、臨機応変に対応できない問題が明らかになり、それらの課題解決に向けた取り組みを実施している。
写真 内閣府地方分権改革推進室での集合写真(西澤准教授撮影)
写真 内閣府地方分権改革推進室 岩間参事官(西澤准教授撮影)
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9.元総務省大臣官房秘書課(現内閣人事局)辻恭介企画官へのインタビュー調査
担当 古賀・牟田・稗田
9.1 略歴西澤准教授の同期の縁で辻企画官へのインタビュー調査
が実施できた。1999年に東京大学法学部卒業後、総務庁に入庁。ジョージタウン大学修士。現在は内閣人事局企画官で NPM 等の行政分野の専門家でもある。
9.2 東日本大震災最も苦労した職務は、2011年の3月より派遣された東日
本大震災被災者支援チームでの職務である。被災地で自治体が機能を失っている際に、いかに迅速か
つ適切に周りの被災者支援チームを動かすかの任務であった。とにかくすぐに考え、結論を出し、行動に移さなければならなかった。また、縦割り、横割りの重要さを考えた。
縦割りの仕組みがないときちんと仕事が進まないが、世の中の様々な課題を縦割りの仕組みが黙って受け入れるかというとそうではない。そういうときに、いわゆるヘッドクォーター組織が縦割り組織の中にどのようにして課題を落とし込んでいくかを考えなくてはいけない。縦割りと横割りの使い分けがとても重要であることを認識した。
9.3 テレワーク導入育児中の女性が、職場で時間や場所に縛られて働きづらいという話があり、テレワークを導入し
た。これは、ICT を活用した、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方のことである。
写真 内閣人事局 辻恭介企画官との集合写真(西澤准教授撮影)
写真 内閣人事局 辻恭介企画官(西澤准教授撮影)
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3人の子供がいるが、テレワーク導入後、時間に余裕を持つことができた。つまり、ワークライフバランスの実現が可能になった。具体的な効果として、家族と過ごす時間、自己啓発の時間等の増加、家族が安心して子どもを育てられる環境の実現である。柔軟な働き方の実現により、有能・多様な人材の確保と流出防止、能力の活用が可能になった。
霞ヶ関の役所では、仕事の端末機器・携帯電話については、役所内に接続されている無線 LAN があるため、役所内ではいつでもどこでも効率よく仕事ができる環境にある。
セキュリティー面では危険な部分があると思われるが、自宅でもアクセスは可能である。役所全体の無駄な仕事が減少しており、効率よく仕事を行える環境が整えられている。
10.防衛省本省見学
担当 江尻・岩佐・島添
10.1 防衛省とメモリアルゾーン防衛省は、陸・海・空の自衛隊を管理・運営しており、国防を所管する行政機関であり、防衛大臣
は、陸海空自衛隊を含む防衛省全ての組織を統括している。かっては、自衛隊を管理する内閣府の外局の一つであった防衛庁は、防衛庁設置法等の一部を改正
する法律の成立によって、2007年1月9日に防衛省へと昇格し、11番目の省となった。最初に案内されたのは、防衛省の敷地内にあるメモリアルゾーンである。旧防衛省の敷地内に点在していた殉職自衛官慰霊碑等16の記念碑を約6,000平方メートルの一角に
集めた場所である。殉職自衛官慰霊碑は、1950年に警察予備隊が創設されてから今日までに、様々な訓練や派遣等で亡くなった隊員1,850人以上への哀悼の意を捧げるための碑である。
写真 防衛省庁舎A棟を背景に(西澤准教授撮影)
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次に主な庁舎の建物を案内された。庁舎 A 棟は、都内最大規模のヘリポートを2基持つ、19階建ての官公庁最大規模の庁舎で、防衛の中枢であり、大臣をはじめ内部部局、統合幕僚藍部、陸海空各幕僚藍部等の防衛の中枢機関が入っている。次に、庁舎 B 棟は、陸・海・空の自衛隊の通信関係部隊が入っており、通信鉄塔の高さは、220メートルである。庁舎 C 棟は、情報本部等の情報関係機関・部隊が入っており、各種の軍事情報の収集、分析、評価等を行っている。
10.2 市ヶ谷記念館最後に案内された市ヶ谷記念館は、1937年に旧日本陸軍士官学校本部として建てられた。その後、学校機能が移転し、1941年に旧日本軍陸軍参謀本部や大本営等が置かれることになった
が、戦後、防衛庁が六本木から市ヶ谷へ移転するに伴い解体され、 玄関や講堂等建物の一部を組み合わせて現在地に再建され、記念館として一般公開されている。
戦後 GHQ に接収され、「東京裁判」の法廷として使用されたことでも知られており、その後は、陸上自衛隊東部方面隊等によって使用され、「三島事件」の舞台にもなった。
なお、大講堂の展示品の中には、硫黄島の戦いを指揮した栗林中将の家族へあてた手紙等が展示されていた。
謝辞東京研修の実施に当たっては、内閣改造や人事異動で多忙な時期にもかかわらず、総務省統計改革
実行推進室の中村英昭調査官、総務省大臣官房秘書課の山本直樹室長、内閣官房内閣人事局の辻恭介企画官、平野欧里絵企画官、山村満理子参事官補佐及び喜山雄介係長、内閣府大臣官房の古矢一郎参事官、内閣府地方分権改革推進室の吉牟田剛審議官、岩間浩参事官、門井勇樹主査及び西亮太調査員をはじめとする多くの方々に大変お世話になった。
また、当初は3泊4日での研修日程が組まれていたが、台風の影響を避けるため、砂田太士前法学部長、生田敏康教務委員、小島譲二事務室長の御配慮により、日程を1日延長していただくことができ、また、研修全般にわたり御支援をいただいた。
御指導・御協力をいただいた先生方に厚く御礼申し上げる。
写真 東京大学赤門(左)及び講道館嘉納治五郎像前での集合写真(右)
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2017 年度 東京研修報告 基礎ゼミ
担当:實原隆志
基礎ゼミは、公務員としての就職を志望するなど、「公の仕事」に関心をもつ学生によって構成されている。例年、夏季休業期間中に東京で研修を行っており、本年度の研修は9月5日から8日までの3泊4日で行われた。 4月の演習開始後、最初に5つのグループを作り、各グループにおいて研修先候補を検討した。そして、それをゼミの参加者全員に提案し、全員での討論を経て研修先を確定させた。その上で、各研修先の概要を新聞記事や図書等を基にまとめることで、訪問予定先機関の業務等に関する理解を深めた。 研修では、国会・参議院、憲政記念館を訪問した。それによって日本の立法府の歴史や役割等を学習した。また、最高検察庁、法務史料展示室、最高裁判所を訪問し、日本の司法の歴史や役割、最近の動向等の説明を受け、復興庁、総務省・統計局、厚生労働省では、中央省庁の職務の内容や最近の動向、職員採用のしくみ等を学習した。これらの国の機関に加えて東京都庁、同政策企画局計画課、警視庁を訪問し、日本の首都である東京都の行政・警察機関の職務等について学んだ。しかし、実社会の運営のあり方を学ぶ上には民間の機関の業務についても知る必要があり、そうした研修も「公の仕事」を理解するのに不可欠である。この研修では東京証券取引所と日本銀行も訪問し、日本経済の中枢に関わる業務の内容についての説明を受けた。また、靖国神社・遊就館を訪問し、現在の法制度の確立に至る前に経験した、日本の戦争史について学習した。 9月中旬に後期授業が開始した後は、東京研修で学習した内容を振り返った。途中、法科大学院の見学も行ったが、その後は担当者が各研修先で学習した内容や抱いた感想を編集・執筆し、ゼミ全体での検討・再検討を経て本報告書の作成に至った。 今年度の研修では天候上の問題もなく、当初予定していた研修先をすべて訪問することができた。それと並び、本年度においては研修の前後において、7月に東京都議会議員選挙、10月には衆議院議員選挙があり、東京研修の後にも最高裁大法廷では何件かの判決が下されており、研修が予定通り行えたことに加え日本国内で重要な出来事があったことで、研修先で学んだ内容を深く理解することができたのではないかと思う。その意味で、今年度の基礎ゼミでは大きな学習成果が得られたと言え、それは各学生の努力や協力によるところも大きかったが、各機関のご担当者が、ご多忙の中、事前準備や応対に貴重な時間を割き、施設の案内や業務内容の説明をしてくださったことを忘れてはならない。この場を借りて心より感謝申し上げる。ご担当の皆様が日々の忙しい業務の中、貴重な時間を割いて熱心に説明してくださったのは、未来の社会を担う学生の成長を願ってのことであろう。この研修に参加した学生には、今後も真摯に学習を続けることで、それらの恩に報いてほしい。
■東京研修(7日午後は2グループに分かれて研修)
9月5日 午後 ○最高検察庁○法務史料展示室
9月6日 午前 〇国会・参議院〇憲政記念館
午後 ○東京都庁・見学〇東京都庁政策企画局計画課
9月7日 午前 〇警視庁〇最高裁判所
午後 〇A:靖国神社・遊就館、復興庁〇B:総務省・統計局、厚生労働省
9月8日 午前 ○東京証券取引所午後 ○日本銀行
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研・修・報・告・記
1.最高検察庁・移動教室
(執筆・編集/山田 慎)
1.概要最高検察庁は、旧制の裁判所検事局にあたる法務省の管理下
にある行政官庁であり、1947年に設置された。検察官の行う業務を統括しており、最高裁判所に対応する検察庁として東京の1か所だけとなっている。そして、高等裁判所が行った刑事事件の裁判に対し上告された事件などを取り扱う。
CAPIC はより親しみやすいブランドイメージにするとともに、「安くて品質の良い」商品を広く愛用されることを目的とし、受刑者の社会復帰のための仕事という英訳の頭文字をとったものである。
2.内容検察官は、検事と検察事務官の2人で仕事をしており、女性
検察官の割合は2割程度である。警察から送られてくる送致書を基に事件現場で、凶器や証拠品を確認する。取り調べも行い、その際には手錠を外し、腰ひもをつける。録音だけでなく、録画も行う。検察官専用の風呂敷があり、大量の書類などを裁判所に持っていく際に使用される。検察庁は、警察組織に対し敬意はもっているが証拠が少ない場合の時には事件について相談し、指示を出すこともあり、冷静に考えてもらうようにアドバイスをする。1年間の刑事事件件数は、自動車運転も含めて150万件~200万件ある。そして、刑事事件の中で控訴される事件の割合は11%で、上告される事件の割合は35.7%である。なお、人事については様々な経験をできるように考えられており、地方から最高検察庁に移動するのは難しいという。
次に、キャピックの仕事の分担は、本人の希望や将来就く仕事に活かせるように決められている。また、看守の人が見てその人に合った作業を与える。禁錮刑の人は作業しない。キャピックの売り上げは、約52億円であり、国のために使われたり、被害者の支援に使われたりしている。やりがいは、手に職が就くことや、生活習慣の改善、お客さんに使ってもらえることなどである。出所した人の社会復帰が問題になっているが、地域の協力や周りからの支援が大切である、と検察官の方がおっしゃっていた。
刑務所には模範囚がおり模範囚としての基準は、日常の態度であり、それが良いと制限が緩和される。その場合、面会の回数が増え、お金を払うことでお菓子や本も買うことができる。
3.感想検察官の仕事内容や現場を直に見ることができた。事件の真相を調べるために的確な捜査をして、
正当な解決をするために大変な仕事であることが分かった。キャピックの作られた製品の質の高さに驚いた。もっと民間に身近にするために活動も行ってみたいと思った。
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2.法務史料展示室・メッセージギャラリー
(執筆・編集/山田 慎)
1.概要法務史料展示室・メッセージギャラ
リーは、明治の雰囲気を今に伝える法務省赤れんが棟の中の復元室等からなり、
「司法の近代化」と「建築の近代化」に関する史料及び司法制度改革に関する広報・啓発資料等が展示されている。
2.内容この建物には以前、法務大臣が住んでい
た。関東大震災にも耐えられたほど、頑丈な当時のレンガ壁も残されている。ボアソナードとともに作成した法典などが展示されており、それらによるとお雇い外国人は、3000人以上日本に来ていた。そして、日本からも外国にお雇い外国人として派遣されていた。
裁判官、検察官、弁護士の法服の展示もあった。裁判官の法服は紫色で菊の紋章と唐草模様の刺繍が施されている。検察官の法服は赤色で刺繍は裁判官と同様である。弁護士の法服は白色で唐草模様の刺繍のみである。菊の紋章は官職を表すもので、唐草模様は知識の象徴とされている。
3.感想赤れんが棟の建物は立派で、迫力があった。司法の設立や法制度についてなど日本のものだけでな
く、外国のものもあった。また、法に関する古い史料がたくさんあり、自分の目で実際に見て学ぶことがたくさんあった。これからの法制度改革についての参考になり、より深く興味が湧いてきた。
3.国会・参議院
(執筆・編集/東野 享平)
1.概要国会の本会議が開かれる議場は2階にあり、3階までの吹き抜け、天井は唐草模様を配したステン
ドグラスの天窓となっている。正面中央には、開会式のとき天皇陛下が臨席されるお席があり、その前に議長席と演壇が設けられ、その一段下に速記者席がある。議席は演壇を中心にして半円形に配列されている。参議院議員の定数は242人だが、議席の数は、貴族院議場として使用されていた名残で460席ある。
2.内容私たちが国会に入って参議院を案内してくれたのが、衛視という国会議事堂に勤める公務員であっ
た。衛視は少ない人数で構成されており、高校卒業または専門学校からのみ衛視に就くことができ
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る。主な業務は国会議事堂の警備をはじめ、様々なものに及んでいる。その衛視からまず最初に本会議場の傍聴席についての説明を受けた。
本会議場は10歳以上であれば、受付を通して入ることができ、中には手荷物は一切持ち込めない。傍聴席は3階にあり、会議を傍聴するためには傍聴規則というものを守らなければならない。規則の例を挙げると、大きな声を出さない・拍手をしない・罵声などを言わないなどがあり、厳しく決められている。傍聴席の種類については一般傍聴席・御傍聴席・公務員席等の説明を受けた。一般傍聴席は我々国民が傍聴する席で、御傍聴席は天皇陛下または皇族の方々が傍聴する席、公務員席は会議で決定された事項を聞く席であり関係する省庁の職員や秘書が傍聴する席である。
本会議場を出た後、次に中央広間に進んだ。中央広間は2階から6階まで吹き抜けになっており32.62m ある。窓と天井にはステンドグラスがはめこまれており、壁面には春夏秋冬が描かれており、その中に琉球石が使われている。この広間には台座が4つあり、伊藤博文・大隈重信・板垣退助の銅像が立っている。あと一つの台座は4人目を決めきれず将来に持ち越されたといわれている。「政治に完成はない、未完の象徴」という意味もあるといわれている。
3.感想私は当初、国会は堅苦しい場所であると考えていた。本会議場なども行ってみて普段では感じられ
ない厳格な雰囲気があり、とても雑談ができるような場所ではなかった。しかし、国会議事堂すべてが堅苦しいわけではなく中央広間など開放的な空間もあり、メリハリがあった。また、昔ながらの建物の中に投票のボタンなど新しいシステムを取り入れたり、伝統を受け継ぎつつも良いものは新しく取り入れるイメージがあった。
4.憲政記念館
(執筆・編集/古賀 純奈)
1.概要尾崎行雄記念財団によって、尾崎記念館が建設されたのちに、日
本の議会開設80周年を記念して、憲政記念館が設立された。尾崎行雄は「憲政の神様」、「議会政治の父」などと呼ばれた人で、
憲政記念館には彼の功績や憲政の歴史、国会組織等の資料が展示されている。
2.内容主に明治維新から現在に至るまでの憲政の歩みに関する資料や、
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速記官の歴史や業務、尾崎行雄の著書、遺品が展示されていた。また、歴代議院記章を見た他、首相の討論内容を聞くこともできた。今後幅広い層の人に来てもらうためにも、スペースを確保し、主権者教育に力を入れた展示を行っていきたいとのことだった。
3.感想どれも見応えのある資料ばかりだった。音声認識システムが導入される2011年まで、国会での発言が
手書きの速記記録をされていたということを聞き、驚いた。今ある現状に満足せず行動してきた偉人たちに感銘を受けた。公務員になった際には、彼らのような行動力を見習い、働いていきたいと強く感じた。
5.東京都庁
(執筆・編集/成清 美乃里)
1.概要1868年江戸を東京と改称。東京府を置き、東
京府庁開庁。1871年全国府県の改廃統合に伴い、新しい東京府を設置。1894年現在丸の内の東京国際フォーラムの場所に東京府庁舎新築落成。1957年丸の内に都庁第一庁舎完成。1991年新都庁舎開庁式が行われた。設計者は丹下健三。都庁の仕事は7の事業、26の局に分かれている。
2.内容入口近くにはとても大きな熊手が飾られていた。また、聖火リレーのトーチなどオリンピック関連品
を展示するコーナーや、全国の PR コーナーなど都庁ならではのコーナーが多数あった。次に本会議場を訪れた。都議会では2・6・9月に定例会が行われ、必要な時に臨時会が開かれる。主な仕事は予算、条例、契約の議決や都民から請願や陳情を受理し、その採決を行うことである。床にはクリーム色の大理石が使われ、壁は白くとても落ち着いた雰囲気になっていた。天井までの高さは鎌倉の大仏が入るほど高かった。正面の壁に丸い黄色のオニキスという天然石が飾られていた。このオニキスには永遠にという石言葉があり、オニキスが使われていることには永遠に平和な都政が続くようにという願いが込められている。都議会の中では車いすの方のためにスロープが設置されていたり、耳が不自由な方のために手話映像が用意されていたりなど様々な配慮がされていた。議事の内容はホームページに公開されている。最後に展望台を訪れた。そこには外国の方向けに、銀座に本店があるおもちゃ屋の博品館があった。
都庁では近年、一部の業務は外部に委託されており、私たちを案内して下さった方も都庁の職員ではなく、外部から派遣されているとのことであった。
3.感想都庁の職員は約10600人いるが、そのうち東京出身の方は約4割にとどまる。日本の首都である東京
を管轄する都庁は全国のエリートが集まる堅苦しいお役所だと思っていたが、とても落ち着いた雰囲気
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で、親しみやすさを感じた。全体的にバリアフリーが施されていたり、雨水が再利用されていたりするなど様々な箇所に工夫が見られたことも親しみやすさを感じた理由だと思う。
私は将来公務員になることを考えていたが、更に具体的に自分の将来の姿を想像することができた。これからの大学生活も一歩ずつ夢に近づけるように頑張っていきたい。
6.東京都政策企画局計画部
(執筆・編集/中尾 響子)
1.概要「政策企画局」は、都の行財政の基本的な計画
及び総合調整、重要な政策立案、報道機関との連絡調整、都市外交の推進に関する実務などを行っている。元々は「政策報道室」という組織であったが、政策に特化した部署の実現のため、
「知事本局」など改組を経て、「政策企画局」は設立された。その中でも「計画部」は長期的な計画を作成し、PDCA サイクルを用いてその実現を目指している。2016年12月には小池都知事の下、新しい東京を作るために①セーフシティ②ダイバーシティ③スマートシティの実現を目指す計画として実行プランが作成された。
2.内容私たちは政策企画局計画部を訪ねて、都庁職員である二人の方からお話を聞くことが出来た。計画
部職員の業務の特徴は、都知事との距離が近く、自身の意見が都政に反映されやすいことであり、また計画部で働くに当たっては「20、30年先の東京で、今自分が考えたことが実現しているのではないか」という思いや、一問題に対して、都庁全体で励まし合い、取り組むことがモチベーションになるという。一方で、短期間で計画を作成する必要がある場合や、他部署との兼ね合いで作成が難航することを、大変だったこととして挙げていた。実行プランでは、①セーフシティには災害や都市インフラなど、安心・安全な東京を目指す政策、②ダイバーシティには待機児童や高齢者などの社会福祉に関する政策、③スマートシティには環境や経済、金融など国際的な問題に対する政策が、4か年の政策展開として提示されている。これらの計画は都議会の方針が変わったとしても、その代表を選んだ都民を信頼することに重きを置いて作成されている。プランの作成が終わっている現在、計画部職員の業務は、プランにある事業の管理や、政策・制度の調査、有識者と知事の面談を行うことなどである。
3.感想研修では、この報告書に書けなかったことも含め、多くの貴重なお話を聞くことが出来た。特に印象
に残ったのは、部や局の異動が多いため、スペシャリストよりもジェネラリストの方が望ましいという言葉。そして公務員を目指すには、国民・市民のため、といった真摯な気持ちを大切に、現状の課題には、主観を省いて幅広い視点で見つめることが必要という話だ。他方、自分の課題を考えてみたとき
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に、これらのことをすぐに会得するというのは大変難しい。今後上記二つのことを身に着けるためにも、物事を多角的に考えることや、見聞を広めることの重要性を心に刻み、研修で得たものを将来の指針にしたいと思った。
7.警視庁
(執筆 ・ 編集/金城 若奈)
1.概要警視庁は、1874年に創設された。東京都公安委員会の管
理のもとに、警視総監と副総監をおき、9の部、3の対策本部、警察学校、10の方面本部と102の警察署により構成されている。目的に応じて高度な専門性のもと、犯罪の予防や取り締まり、治安維持、交通安全社会の実現に尽力している。
2.内容警視庁は、首都警察であり東京都の治安を守る。また他の
都道府県警とは違い公安部があるのが特徴である。24時間体制であらゆる警察事情に対応し、都民の安全安心を守っている。110番通報時には迅速に現場に駆けつけ、犯人の早期検挙、初動捜査、交通事故処理等を行う。
110番の通報は通信指令センターで受理される。一日の通報件数は約4800件に及ぶ。主な通報内容として交通事故、騒音、犯人取り締まりの順に多く、その通報内容の三分の二が緊急、三分の一が相談事やいたずら電話である。外国人からの通報は通訳職員を通して三者で通信を行っている。どのような状況下でも受理できるよう災害にも備えてセンター自体が自家発電装置になっているので停電することはない。この他にも、警視庁内の安全対策として地震に強い免震床の建物やサイバーテロ対策をあげていた。また、職員は現役職員だけでなく、昼間は一定割合の人数の経験豊富な退職職員も勤めている。
現在警視庁では、犯罪の起きにくい社会の実現に向けて自治体をはじめとした関係機関、団体等と連携し、街頭防犯カメラの設置や防犯環境の整備、都民への犯罪発生情報の提供等を行うことに力を入れている。さらに警察参考室を設け、都民に現在の警察を知ってもらうため参考になる資料を約1000点展示している。警察参考室では、他に明治以降の歴史的な事件や災害など警視庁に関する貴重な資料も展示している。
3.感想警察という職は私が想像していたより遥かに地道な捜査をして事件を解決に導いていることがわかっ
た。それは都民の為に働くという使命感があるからできることだと思った。現場で働く警察官の話をきいて驚いたのは働いている今より、警察学校にいた頃が1番厳しい環境ということだ。しかしその厳しさを乗り越えることによって警察官としての自信にも繋がるそうだ。警察の昇進試験や、警察学校では法律を扱うとのお話もあった。これから勉強に力を入れ法学部出身者の強みを活かしたい。
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8.最高裁判所
(執筆・編集/本田 裕里乃)
1.概要最高裁判所は、憲法によって設置された日本における唯一かつ最高の裁判所である。そして、長官及
び14人の最高裁判所判事によって構成されている。最高裁判所長官は、内閣の指名に基づいて天皇によって任命される。また、14人の最高裁判所判事は、内閣によって任命され、天皇の認証を受ける。
2.内容最初に、裁判員制度に関する話を聞いた。裁判
員制度は国民に地方裁判所の刑事裁判に参加してもらい、被告人が有罪か無罪か、有罪の場合、どのような刑罰に処するのかを裁判官と一緒に決めてもらう制度であるとの説明を受けた。
最高裁判所には、最高裁判所長官を含む15人の裁判官全員で構成する大法廷と、5人の裁判官で構成する3つの小法廷がある。ほとんどの事件は小法廷で終わることが多い。しかし、その中で法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを判断するときに、大法廷に移って裁判をすることになる。
最高裁判所では、高等裁判所までの裁判手続や判決などに憲法や法令の違反がないかどうかが審理の中心になることから、裁判関係者は、法律的な主張をそれぞれ裁判所に対して述べるに止まるため、お互いの席は向かい合わずに、裁判官席の方を向いている。また、あらためて証人等から話を聞くことはないため、証人席等は設けられていない。
裁判官席の方の壁には2枚の絵が飾ってあった。2枚の絵には太陽と月が描かれており、太陽は情熱、月は冷静さを現わしている。裁判所で活発に審議しつつも冷静に判断ができるようにという心構えである。
3.感想私は、裁判所に行ったことがなかったため、テレビのニュースなどでよく見る法廷だと思っていた。
しかし、それは高等裁判所などの証言台があるところで、最高裁判所は、違っていた。そこは、証言台はなく、お互いの席が向かい合わずに裁判官席の方を向いていた。そして、裁判官席の方の壁には2枚の絵が飾ってあった。その2枚の絵の意味と心構えを知って、より強く印象を受けた。
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9.靖国神社・遊就館
(執筆・編集/安部 望・内田 萌絵)
1.概要靖国神社は国のために尊い命を捧げた人々の英霊を慰め、その事績を後世に伝えることを目的に創
建された。神社の敷地内にある遊就館には、戦時中の武具甲冑や美術品をはじめ、10万点もの様々な収蔵品が展示されている。
2.内容戦争の歴史の背景を知るために遊就館を見学し
た。遊就館には22の展示室があり、一通り拝観するには2時間以上かかる。戦争に至るまでの歴史や実際に使用されていた武器甲冑などが多く見受けられた。また、幕末から終戦までの戦争の資料が展示されている。さらに、大展示室には零式艦上戦闘機や人間魚雷「回天」、戦艦武蔵の模型などがあり、迫力を感じると同時に、戦争の恐ろしさを実感できる展示となっている。その他にも、特攻隊員の家族に宛てた遺書や、壁一面の戦没者の顔写真など、戦争の悲惨さや残酷さを肌で感じさせる展示物がある。
3.感想見学を終えて、改めて戦争の恐ろしさを実感した。私たちは戦争のない平和な世界をつくっていかな
ければならない。そのためにも、遊就館のような戦争の歴史を後世に伝えていく場所はとても重要である。私たちは時間の都合上、展示室を全て回りきることが出来ず、残念だった。次回は時間をかけてじっくりと回りたいと思う。
10.復興庁
(執筆・編集/山路 洋志)
1.概要復興庁は、未曾有の大震災である東日本大震災後、迅速に予算、法制度が整えられ、復興事務を一
元的に処理する10年以内の時限的組織として設立された。政府は、復興需要が高まる2015年度までの5年間を「集中復興期間」、2016年度から2020年度を「復興・創生期間」と位置づけしている。
2.内容復興庁の参事官補佐(広報担当)である小川清美氏に復興庁の体制と復興6年間の現状と課題につい
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てお話ししていただいた。復興庁には、全体で約500名の職員がおり、そ
の半数が東京の本庁、残りの半数が岩手、宮城、福島の復興局に勤務している。職員は、宮内庁以外の役所から集められており、民間企業の方も20名ほど在籍している。こうして集められた職員の方々は、被災地に貢献したいという気持ちで勤務している。小川氏もその1人であり、復興のお手伝いをしたいと思い、防衛省から出向という形で来ているとのことである。
東日本大震災から6年が経過した今、地震・津波被災地においては、住宅の再建が進んでおり、インフラ復旧も概ね完了の見込みである。そのため、長期の避難生活を余儀なくされている被災者の心身のケアが重要となっている。また、産業についても、生産設備等はほぼ復旧しているため、観光振興や風評の払拭等の支援が重要となっている。さらに、放射線被害が深刻である福島は、除染が進み、避難指示区域の解除が順次行われており、住民の帰還が可能となりつつある。それに伴い、放射線に係る健康管理や風評の払拭の支援等が必要とされている。
2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催される。その際、復興を成し遂げつつある東北の姿を世界に発信すべく「復興五輪」の推進も行われている。
3.感想私たちに衝撃を与えた東日本大震災ではあるが、被災地の現状を知ることができる機会は決して多く
ない。しかし、今回、復興庁に行ったことにより、復興庁の体制や復興の現状や課題といった様々な事柄を知ることができた。
お話を聞く中で、被災地企業を対象とした実践型インターンシッププログラムである「復興・創生インターン」に特に興味を持った。キャリア観の醸成や課題解決能力の向上を図ることが目的であり、被災地で復興に取り組む人々や、地域で活躍する人々と様々な課題へ挑戦できることから、参加者が年々増加しているとのことである。私は、以前から、被災地に何か役立てることはないかと思っていたので、ぜひ来年度は応募しようと思った。
11.総務省統計局
(執筆・編集/羽祢田 崚)
1.概要総務省統計局は社会・経済情勢を把握する統計の企画、作成、提供を行っている。さらに、各府省の
統計を横断的に調整しており、政府統計の中核的役割を持っている。総じて、国の政策や企画に対して、正しい事実を指摘する第三者視点を持っている組織と言える。
2.内容統計局の統計は今日の行政運営や企業の意思決定に必要不可欠なものである。それは統計の数字とい
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う証拠に基づく決定が重要視されており、事を始めるには根拠が必要であるからだ。実際に、経常三調査の結果は閣議で大臣全員が知ってなければならないほど重要なものとなっている。情報が重要であるからこそ活用され、地方の町おこしに貢献した例もある。
その数字という根拠の精度向上には様々な工夫がある。年齢、男女、年収、地域、職業といった調査によって得られた膨大なデータから、そのデータを組み合わせてみることやグラフ化といったことを行い、より深く実態を調べている。またその精度を守るために、統計調査の方法は基本的に変わることはない。変えるとデータにずれが生じてしまうためだ。しかし GDP などの調査方法を変えた方がいいのではという意見もある。
調査を行う際の情報、特に個人情報は外部に漏れると、統計局の信用を失い、情報が得られなくなる。そうならぬように調査が終わった後は調査用紙を薬品で溶かすほど情報の取り扱いには厳密である。
統計局は企業や国民に統計の活用も進めている。統計局の和歌山移転は機能移転することで統計のことを知ってもらい、データを国民が利用できる場所を作ることが目的の移転であった。最後に統計の歴史に関する資料館を見た。統計は長く行われており、特に国勢調査は100年程行われている。
3.感想人の価値観、世界観はそれぞれが全く違い、同じ物事に当たる際には認識のズレが生じるものだ。認
識のズレは多人数で事を決断する政策の場では大きな問題だ。しかし統計は数字という同じ基準を用いることで認識のズレを少なくすることができる。数字は見るだけで伝えたいことが誰にでも分かるからだ。数値の増減、その図式化等から分かった事は、実際の物事を人が判断するよりも正確に表しているはずだ。このように統計は同じ基準で課題を考えられることが出来るということをこの研修で学んだ。
真相、実態を調べる際に、それを知るために適した物差し、つまり判断の基準になるものは何なのかを見極めていきたいと思う。
12.厚生労働省
(執筆・編集/市原 隆誠)
1.概要「国民生活の保障・向上」と「経済の発展」を目指すため、2001年、中央省庁再編により、厚生省と
労働省を統合して発足した組織で、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上・増進と、働く環境の整備、職業の安定・人材の育成に取り組んでいる。また、少子高齢化、男女共同参画、経済構造の変化などにも対応し、社会保障政策と労働政策に取り組んでいる。
2.内容厚生労働省は、様々な問題について扱っている組織であるため、その他の省庁と比べて大きな組織で
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ある。それと同時に、対民間企業の組織であるため、「まずは自分たちから」をモットーに、働き方改革の一環として終業の合図及び帰宅促進の放送や、男女に関わらず育児・介護休暇を取りやすい環境づくりをしている。また、職員の男女比は新規採用者だけで見ると、まだ多少男性の方が多いものの、積極的に男女共同参画に取り組んでいるという。
働き方改革として、検討会で「ブラック企業」の事例収集を行い、ガイドラインを作成している。また、そのような企業には離職者も多数いるためその情報が入っている場合が多く、入り口に規制する等の取り締まりを行っているそうだ。しかし、離職者が多いという理由のみでの追跡調査は不可能に近いといい、企業の権利保護とのバランスが難しいという。
採用される方は、中途採用の方や大学院を卒業した方など様々であり、特に、社会経験もあり経験豊富な中途採用の方は、初めて会う方と仕事する機会が多い厚生労働省において重宝されているという。また、省庁の壁を低くするために、他の省庁や人事院等と積極的に関わりを持つようにしており、色々な方との出会いがあることがやりがいとなっているとのことである。また、外国人にも寛容な組織であり、言葉の壁を無くそうとネイティブの通訳を雇ったり、採用の際に労働条件を理解していない問題にも各言語で書かれた書類を準備したりと様々な方法で対応しているという。
3.感想研修の前は、自分の夢のためになる専門的なことだけをしておけばいいという考えになっていた。確
かに、夢があるという点では他の人との差別化が図れているといえるだろう。しかし、厚生労働省の方から貴重なお話をしていただいた中で、新卒採用の中にも、大学や大学院で勉強していた専門分野と関係ない分野に就職する方がいたり、中途採用の方が経験豊富ということで重宝されたりと、様々な選択をする方やその価値を見出してくれる方の存在を知ることが出来た。この研修をきっかけにして、以前の考え方に固執せずに、これからの大学生活において様々なことに挑戦し、多くの経験を武器に夢を叶えたいと思った。
13.東京証券取引所
(執筆・編集/鬼木 久留美)
1.概要1878年に政府は株式取引所条例を制定した。それを受け、東京実業界の有力者であった渋沢栄一ら
は株式取引所の設立を出願し、大隈重信大蔵卿の免許を受けた。その後6月1日東京株式取引所が誕生し営業を開始した。主に、有価証券の売買を行うための市場施設の提供、相場の公表及び有価証券の売買等の公正の確保その他の取引所金融商品市場の開設に係る業務を行っている。
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2.内容まず、動画を見て東京証券取引所についての
歴史などを学んだ。大企業向けである市場第一部、中堅企業向けである市場第二部、ベンチャー企業向けであるマザーズ及び JASDAQと分かれており、中でもマザーズでは上場審査がなく今後の企業の成長率が重視される。全国でおよそ180万社あるうちの3500社ほどしか上場してない。また企業は上場するだけではなく上場管理によって一部と二部との間で昇格・降格することもある。東証一部の上場企業のうち、時価総額の第一位は TOYOTA で不動である。しかし二位以降は DOCOMO、SOFTBANK などと入れ替わることがあるそうだ。
次に建物内を見学した。建物の中央には「チッカー」と呼ばれる会社名、成立した一株当たりの株価、前日の終値が記された円周約50メートルの電子蛍光板があった。スピードは8段階に分かれており取引の量が多いと回るスピードが速くなる。以前取引は手作業で行われていたが現在は全てデータでやり取りされておりチッカーは研修に来た人のためにある。チッカーの近くには鐘が置いてあり上場が決まった会社や、一年に一度その年に活躍した著名人が5回鳴らす儀式があるそうだ。
最後にうかがった話の中では「上場廃止になると会社はヒト、モノ、カネなどの資金調達が難しくなる」という話が特に印象に残った。ある大手企業の社長はいい人材を求めて上場することを決めたというほどに、上場することは各所からの信頼などを得ることができ、なおかつより良い会社を作るためにも大事であることが分かった。
3.感想今回の研修で私たちは日本の株の仕組みについて直接学ぶことが出来た。個人的に東証について調べ
るまで上場した企業が一部や二部などにそれぞれ分かれているとは知らなかった。これまでは株や経済について「難しそう、素人が投資すると失敗する」という凝り固まったイメージしかなかったが直接お話を聞くことができ、投資に対して少しイメージが変わった。経済学部の方が主に就職する職場だと思っていたが、資格も特に必要なく理系出身の方も活躍できる部署があり様々な方が働いていることもわかった。
14.日本銀行
(執筆・編集/久我 愛実)
1.概要日本銀行は1882年日本銀行条例に基づいて設立された。その後、1994年に日本銀行法により改組さ
れ、日本銀行法は再び1997年に改正された。1998年に施行された新日銀法に基づいて日本銀行は許可法人となった。
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2.内容日銀の仕事は交通違反での罰金などを管理する政府の銀行、全国の銀行に最後の貸し手としてお金を
貸す銀行の銀行、銀行券を発券する発券銀行と主に3つに分かれている。監査は以前、手作業だったが、現在はすべてコンピューターが行っている。日銀ではお金に関する業務を日々行っており、1日に100兆円ものお金を管理している。また、外回りを警備会社が行い、内回りを職員が行っている。日銀に採用されるための特別な条件はないが、技術職は資格などを求められる。さらに、普段実際に見ることがない金庫扉を見学した。金庫扉は1426㎡、重さは10トンあり、扉の厚さは約90㎝で頑丈で大きく、大人1人では開けることが困難な大きさだった。
3.感想実際に日銀を訪れて、建物の歴史に「銀行の
銀行」であるゆえをこの目で確かめることができた。また、金庫扉は想像以上の大きさと徹底したセキュリティにとても驚いた。今後、財政制度などを学ぶ上で大変良い経験をさせてもらった。
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西澤ゼミ
今回私たちは、台風の影響により東京研修の日程の急な変更を余儀なくされました。しかし、内閣府、総務省、警視庁、法務省等普段は行くことができない施設を訪問し、現役官僚の方々に直接インタビューをすることができました。このような貴重な経験をすることができたのは、西澤先生の人脈と、先生がこの研修のために多くの調整をしてくださったおかげです。台風という予期せぬ事態により、先生が直前まで訪問先の方々と連絡を取り合ってくださっていたのが印象に残っています。先生のお知り合いの先生方の御好意により、今回私たちはお話を聞くことができました。
ゼミ員には公務員や法曹を志している者が多く、今回の研修で、実際の業務にあたっていらっしゃる方々のお話からたくさんの刺激をいただき、より勉強に励むようになりました。
最後に、今回この東京研修の中で、忙しい時間を割いてインタビューに答えて下さった先生方、急な変更があったにも関わらず、私たちのために研修先の調整をしてくださった西澤先生、お世話になった方々に感謝の念を抱くとともに、今後より一層目標に向かって精進して参ります。
立中 真湖
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實原ゼミ
「私はこのゼミに入って本当に良かった」。ゼミが最終回を迎えた時に、心からそう思いました。それは、ゼミの仲間と共に多くの経験を積み、自身の将来について考えるきっかけになったからです。
中でも、東京研修では、最高裁・国会議事堂・各省庁など三権分立を象徴する場所から、資料館など多くの施設を見学させていただき、また職員の方から、貴重なお話をうかがいました。研修後のゼミも、この報告書を作成するための振り返りや指摘を行う、大変有意義な時間となりました。公務員を目指す人の多くは、抽象的だった公務員像を具体的にできたと思います。
一方で、一から情報を集め、まとめることに苦悩した計画書作成に始まり、各研修先との電話やメールでのやりとりに何度も不安を覚えたアポイントメント、計画書通りには進まなかった東京研修など、このゼミでの活動が一年を通して順風満帆だったというわけではありません。しかし、これらの体験は、東京研修での経験を中心に、私たちが学んだことと等しく大切なものだと思います。
最後になりましたが、お世話になった研修先の皆様、そして一年という短い間でしたが、共に学んだすべてのゼミ生、教鞭をとってくださった實原先生に、この場をお借りしてお礼を申し上げます。
中尾 響子
編 集 後 記